武者のぼりの取扱い上の注意
◆武者のぼりのポールを立てる時は、ポールの説明書をよく読み、倒れないようしっかりと立てて下さい。
◆ポール、材木など掲揚物は、電線、線路、道路など危険の多い所では近くに立てないで下さい。
◆武者のぼりの掲揚器具や回転球など付属品の取付けは個々の説明書を十分読みながら取付けて下さい。
◆雨天の時や風の強い時、又は突風の吹きやすい気候条件のもとでは揚げないで下さい。
 濡れてしまった場合は色が移ることがありますので早めに乾かして下さい。
◆赤い房は、濡れると、色が移りますので、のぼりからはずして、別に乾かして下さい。
◆ロープは消耗品ですので危険防止のため安全を確かめながら使用して下さい。
◆武者のぼりを揚げる時は、のぼりとポール又は材木とのジョイント(チチ)部を確かめて揚げて下さい。
◆洗濯はしないで下さい。

絵柄解説
◆八幡太郎義家
平安時代末期の武将。姓は源であるが、石清水八幡宮で元服したので八幡太郎と称した。前九年の役・後三年の役で活躍し、東日本における源氏の地盤を確立した。部下の功を私財をもってねぎらったため人望を集め、百姓が田畑を競って寄進するようになった。院には武人で最初の昇殿を許され、天下第一の立派な武将とされている。

◆源義経( 1159年 〜 1185年 )
源氏と平家が合戦した時にお花形武将。幼名は牛若丸で京の五条橋で弁慶を打ちすえ従臣にしたといわれている。兄頼朝の挙兵に参じて平家の軍を次々と破った。義経の一生は日本人の心に「判官びいき」という言葉を生み、美男子な誠の武将として今日に語り継がれている。

◆上杉謙信( 1530年 〜 1587年 )
戦国時代の武将。越後(新潟県)守護代の子として生まれ、下野(栃木県)・越後を制して春日山城に入って統一をはかる。そして北上してきた武田信玄の軍と信濃(長野県)の川中島で五回にわたって戦った。武田信玄が塩不足に苦しむのをみて、謙信が塩を送った話しは「敵に塩を送る」という語源として有名である。

◆武田信玄( 1521年 〜 1573年 )
戦国時代の武将。甲斐(山梨県)の守護・信虎の長子。風林火山の旗幟を背に信濃(長野県)の諏訪氏を滅ぼし、小笠原・村上氏を攻めて、上杉謙信と川中島で戦った1561年の戦いでは、上杉謙信と直接対決したとされている。「人は城、人は石垣、人は堀、情けは味方、仇は敵なり」を座右の銘としたと伝えられ、国内の治山治水事業にも功績を残している。

◆那須与一
那須資高の十一子で名は宗高。文治元年(1185年)、源平屋島の合戦で、平家の船上に掲げられた扇の的を射落としたことにより名をあげる。この功により武蔵・信濃・若挟・丹波・備中の5カ国に荘園を与えられたと言われる弓の名人。

◆太閤秀吉
安土桃山時代の武将。足軽の子に生まれて天下統一を成し遂げ、立身出世の人物とされている。織田信長に仕えて各地で武功をたて、信長没後は大阪城を築城している。1585年年には関白、翌年には太政大臣に任ぜられた。刀狩りをはじめ封建支配体制の基礎を築いた。

◆加藤清正
安土桃山時代の武将。幼少から豊臣秀吉に仕え、賤ヶ岳の戦いに武功をたてて七本槍の一人といわれた。1588年に越後(熊本県)の領主となる。朝鮮の役には先鋒として転戦し、虎狩りの伝説は有名となっている。

◆徳川家康
1600年(慶弔五年)関ヶ原の戦いで石田三成らを破り1603年征夷大将軍に任ぜられて江戸幕府を開いた。大阪の陣で豊臣氏を滅ぼし幕府260余年の基礎を確立、東照大権現の諡号を下賜。

◆鍾馗(しょうき)
玄宗皇帝が病にかかり、高熱と悪夢にうなされていた折、終南山よりかけつけた鍾馗という豪勇無双の大男が豪剣を振って病魔を払いのけたため、皇帝の病は一朝にして回復したので、皇帝はいたく喜んで、夢にみた鐘馗を当時の画匠呉道子に描かせて邪鬼払い神とした。やがて日本にも伝わり、 魔除けとして端午の節句の祝品として描かれるようになった。

◆高砂
熊手を持った翁(おきな)と箒を持った媼(おうな)が相生(あいおい)の松の下に立つ図柄は、高砂図の代表的なもの。
砂浜に老夫婦に鶴、亀、松など、夫婦の長寿と和合、家庭の永年の繁栄とを祈願して描かれている。


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